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日高逸子選手ってどんな人?
日高逸子選手とは、デビューしてから36年間(2021年現在)にわたりボートレーサーを続ける女性現役最年長レーサーです。
結婚した相手が“主夫”となり、出産後もすぐに仕事復帰。
生涯獲得賞金は10億円にものぼる超ベテランレーサーです。
先月10月7日には還暦を迎え、60歳を過ぎた今もなおトップグループで活躍しています。
日高逸子のプロフィール
登録番号 | 3188 |
生年月日 | 1961/10/07 |
身長 | 154cm |
体重 | 44kg |
血液型 | A型 |
支部 | 福岡 |
出身地 | 宮崎県 |
登録期 | 56期 |
級別 | B2級 |
日高逸子選手の経歴
1985年5月:芦屋競艇場でデビュー。
1989年3月7日:多摩川競艇場で行われた第2回JAL女子王座決定戦競走で優勝。
1996年8月8日:新潟県出身の井上邦博と結婚。
1997年3月7日:長女を出産し、産後3ヶ月で復帰。
1999年7月5日:次女を出産し、産後3ヶ月で復帰。
2002年10月5日:唐津競艇場で通算1000勝達成。
2005年3月6日:大村競艇場で行われたGI第18回JAL女子王座決定戦競走で、4コースからまくりを決めて優勝。
2006年8月:桐生競艇場で行われたSG第52回モーターボート記念競走に芦屋競艇場の推薦により出場、同競走の歴史において女子選手が施行者場以外の各競艇場から推薦されるのは初めてのことだった。
2006年9月27日:大村競艇場の周年記念競走・優勝戦においてフライングをし、罰則(6ヶ月間のGI競走への斡旋停止・当時の罰則)により2007年の九州地区選手権競走、JAL女子王座決定戦競走などのGI競走に出場できなくなる。
2006年12月:住之江競艇場で行われたSG賞金王シリーズ戦に初出場。
2008年10月3日:下関競艇場で行われたジュエルセブンカップ(オール女子戦)第12レースで通算1,500勝を達成。
2010年4月18日:競艇名人戦競走に資格(48歳以上)取得1年目で初出場、ドリーム戦にも出走し、優勝戦に進出(6着)。
2010年10月26日:福岡チャンピオンカップで優勝戦に進出(5着)。
2013年4月21日:琵琶湖競艇場で開催された第14回名人戦競走において、3年ぶりに優出(優勝戦は2着)。
2014年12月31日:住之江競艇場で行われた第3回クイーンズクライマックスにおいて、優勝戦に1号艇で出場、1コースからコンマ01のスタートを決め優勝。
2014年に日高が獲得した賞金は4096万円で全競艇選手の中では40位、女子競艇選手の中では1位だった。
2015年7月9日:ボートレース浜名湖の一般タイトル戦・初日第8レースを勝利し、女子としては山川美由紀に次いで二人目となる通算2,000勝を達成。
2020年前期(5 – 10月)に3度のフライングを切り長期欠場、同年後期(11月 – 2021年4月)にB2級に転落。一時は引退も考えたというが、2021年2月の鳴門競艇場での開催で復帰。
波乱万丈の人生
日高逸子選手は、中学校教師の父と保育士の母の長女として2歳年上の兄と共に幸せな家庭で育つ環境に生まれたはずでした。
しかし、日高選手が4歳の時に父が事故の後遺症からアルコール依存となり、暴力を振るうようになりました。
そして、小学校1年生の時に暴力に耐えきれなかった母が突然家から姿を消してしまったそうです。
その後は宮崎県串間市の祖父母宅に兄と共に預けられ、祖母の厳しいしつけと家事や農作業など辛い労働を強いられたという日高選手。
小学生の頃から新聞配達や農作業をしながら奨学金で高校を卒業し、信用金庫に入行するも1年で退行。
その後は東京へ飛び出し、住み込みの新聞配達などで必死にお金を工面しながら製菓学校や旅行専門学校に通ったり、旅行会社や喫茶店で働いたりと大忙しだったようです。
祖父母に仕送りしつつ、必死に自分の道を探し求めていました。
そんな日高選手に転機が訪れたのは、22歳のときです。
普段はほとんど見ないテレビをつけたところ、ボートレーサー募集のCMで「ボートに乗って年収1000万円」という言葉が飛び込んできたそうです。
1000万円という金額に惹かれ、履歴書を送ったのが全ての始まりでした。
「ボートがどんなスポーツか知らなかったから、試験会場で走るボートを見たときは言葉を失いました。スピードと次々とひっくり返って冷たい湖に身を投げ出される光景に…」
それでも33倍の難関を突破し、養成所へ入所しました。
命がけの勝負の世界へ
1年間の訓練は、過酷だったといいます。
ボートは時速80kmに達し、転覆して水面に投げ出されると後続のボートにひかれて命を落とす可能性もあるため、一瞬たりとも気が抜けません。
入所から2ヶ月、同期生が上達するのに対し、日高選手はまともに走ることすら難しかったようです。
そして、恐怖感と自信喪失がピークに達し、辞めようと決意。
通りかかった教官に「私、辞めます。帰ります。」と告げると、思いがけない言葉が返ってきました。
「まぁ落ち着け。お前の作文を読んだが、帰るところなんてないじゃないか。」
それは入所すぐに書かされた作文のことです。
日高さんは両親の離婚などもあり、小さな頃から働き続け、職を転々としたことを正直に書きつづっていました。
教官はその内容を覚えており、「実は俺もお前と同じ串間の人間だ。負けるな。」と声をかけてくれたそうです。
日高選手はその時のことを「温かい心に触れて嬉しかった。『私にはこれしかない』と思い直しました。」と語っています。
しかし、もう一度だけ辞めたいと思う事件がおきます。
それは同期のエースの落水事故を目の当たりにしたとき。
「水面が真っ赤に染まり、救急車に乗せられた彼の顔から血が吹き出していました。その光景が何度も蘇り、体が震えるほど怖くてたまらなくて。もともと私には才能がないから人の何倍も練習していたけれど恐怖心を追い払うため、さらに練習に打ち込みました。」と、その当時のことを明かしています。
再起をかけるも新たな試練が…
昨年秋、3度目のフライングを犯して150日間の出場停止処分を受け、選手ランクは最高のA1から一気に最下級に転落してしまいました。
復帰後、約8ヶ月でA級レーサーへの返り咲きが決まりましたが、実はある病魔との闘いがあったのです…
来年前期に向けての審査期間(5~10月)の成績は、出走回数83回で勝率5.57などB1級を飛び越え、A2級昇格条件をクリアしていました。
定位置の最高ランクA1級まであと一歩のところまできていましたが、今年の夏頃から体調に異変を感じます。
病院で診察を受けると、子宮に異常があることが分かりました。
「癌だったらと思ったら、不安で引退もよぎった。」
9月末に6時間に及ぶ摘出手術を受け、「子宮体がん」の疑いがありましたが、結果は良性だったようです。
現在は、11月16日に徳山で行われる復帰戦に向けてジムでトレーニングを開始しています。
日高選手は「私の人生は逆転に次ぐ逆転の繰り返し。諦めない。」と語っています。
2人の子供を育てながらトップレーサーに上り詰めた「水上のグレートマザー」
そんな日高選手だからこそ、必ずやもう一度A1級へ返り咲いてくれることでしょう!!
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