競艇Fineでは、実際に稼げた優良サイトを紹介しています。
競艇で稼ぎたい方は、ぜひ参考にしてみてください!
濱野谷憲吾選手ってどんな人?
濱野谷憲吾選手とは、デビュー2走目で初勝利を挙げ、48歳となった今も活躍する競艇界の顔と言ってもいい選手の一人です。
漫画「モンキーターン」の主人公のモデルになったことでも有名です!
2021年12月14日現在、2021年の獲得賞金ランキングは1憶1千4百万円超えで3位につけています。
この順位だけで濱野谷選手を知らない方でも、どれだけ強い選手か分かりますね!
濱野谷憲吾のプロフィール
登録番号 | 3590 |
生年月日 | 1973/11/08 |
身長 | 169cm |
体重 | 56kg |
血液型 | A型 |
支部 | 東京 |
出身地 | 東京都 |
登録期 | 70期 |
級別 | A1級 |
濱野谷憲吾選手の経歴
世田谷区立新星中学校(統合により現在廃校)卒業後に本栖研修所に入り、修了後70期生として1992年5月19日に平和島競艇場でデビュー。
デビュー2走目で初の1着。
1993年9月23日に戸田競艇場のタイトル一般戦で初優勝。当時19歳10ヶ月での初優勝だった。
1996年5月6日に平和島競艇場のタイトル一般戦にて2度目の優勝。1996年はこの後3節連続優勝を含む7優勝の固め打ちをした。
この活躍もあり、1996年10月福岡競艇場の第43回全日本選手権競走で、SG出場を果たす。SG初出場でいきなり3度も1着をとるという活躍をする反面、10月9日の開催5日目・第4レース及び第7レースに1日2回も転覆して失格をするという記録も作り、一気に濱野谷の名を全国に知らしめる。
GIの初優勝は1997年9月11日、桐生競艇場での第41回赤城雷神杯。
翌1998年10月11日、念願のSG初優勝を飾る。
その後は2000年競艇王チャレンジカップ競走、2001年賞金王シリーズ戦と2つのSGで優勝。
しかし、2002年~2004年の間に記念優勝戦17連敗という時期もあった。
このトンネルを抜けたのは2004年の三国周年記念。この優勝を皮切りに2005年はGI4優勝、2006年もGI2優勝とコンスタントにGI優勝を重ねる。
2007年には平和島競艇場での総理大臣杯競走で優勝し、地元でのSG制覇も果たした。
2007年6月18日、津競艇場開設55周年記念競走「GIつつじ賞王座決定戦」の3日目第7レースで、デビュー通算1,000勝を達成した。
賞金王争いの常連であり、過去9年連続(1998年から2006年)で年間獲得賞金1億円以上を達成していたが、2007年は9124万4500円(ランク6位)に留まり、10年連続の1億円プレーヤーとはならなかった。
2009年8月4日、桐生競艇開設55周年記念・GI赤城雷神杯競走の優勝で、記念優勝回数が20回目の一走となった。
2010年は自己最多の年間4度のSG優勝戦進出を果たす。
2011年は尼崎競艇場でのSG笹川賞でSG優出。12月には江戸川競艇場で行われたGI関東地区選手権を制覇。
2012年は年間優勝が1回だった。10月に福岡競艇場で行われたSG全日本選手権に優出し、結果は3着。
2013年はSG優出は無かったものの、年間4度の優勝を果たす。
2014年は年間優勝が1回だったが、SGの優勝戦に3度進出。
2015年は江戸川競艇場の周年記念で4年ぶりのGI優勝。
2018年5月に丸亀競艇場で行われたGI京極賞で3年振りのGI制覇を果たすと、10月には住之江競艇場で行われたGI高松宮記念で、この年2つ目のGI制覇。
2019年は11月に桐生競艇場で行われたSGチャレンジカップでおよそ5年振りとなるSG優出。
2021年は3月23日からボートレースからつで開催された一般戦「第6回ライブキャッチ杯」にてイン逃げを決め、通算93回目の優勝。
史上32人目の全24場制覇を達成した。4月には大村競艇場で開催されたGIダイヤモンドカップで優勝。
また、7月20日からボートレース芦屋にて開催されたSGオーシャンカップで、2007年平和島クラシック以来14年4ヶ月振り、通算5回目のSG優勝を果たした。
このオーシャンカップ優勝を受け、勢いに乗り7月の芦屋SGから住之江GIII・多摩川一般戦・蒲郡SG・住之江GIと5節連続優出を果たし、9月には桐生競艇場で行われたGI赤城雷神杯で2010年以来となる年間獲得賞金1億円突破を果たした。
ボートレーサーになったきっかけは?
濱野谷選手がボートレーサーになろうと思ったきっかけは2つあります。
1つ目は「高収入を得て、いい車に乗るため」だそうです!
めちゃくちゃシンプルな理由で車好きなのが分かりますね。
そんな濱野谷選手の愛車は「ベントレーコンチネンタルGT」という噂があり、価格は約2500万円。
これぞまさに有言実行ってやつですね(笑)
そして2つ目は、「2歳上のお兄さんが競馬騎手を目指していたことによる影響」だったといいます。
濱野谷選手の兄、濱野谷憲尚さんは中学卒業後にJRA競馬学校に入学。
1990年にデビューし、現役時代は通算169勝を記録しています。
2020年1月に引退し、現在は調教助手として活躍されているようです。
濱野谷選手がボートレーサーになろうと決めたのは、お兄さんが競馬学校で訓練を積んでいた時期。
日々頑張る兄の姿を見て刺激を受けたのでしょう!
デビュー2走目で初勝利・デビュー翌年には初優勝
濱野谷選手は中学校卒業後に本栖養成所(現在はやまと学校)に入り、研修修了後の1992年5月19日に東京支部の地元であるボートレース平和島にてデビューしました。
そしてデビュー2走目で初勝利を飾ります。
2走目で初勝利というのは本当に凄いことです!
基本的に新人ボートレーサーは、転覆や接触事故・スタート事故を避けるため、暗黙の了解で何号艇に乗っていても6コースから進入します。
なぜなら、6コースは自分でスタートタイミングを測りやすい上に接触の可能性が減るからです。
よって、デビューしたてで1着をとるということは当然困難になります。
事実、デビューから初勝利を上げるまで数年間を要する選手も多いです。
そんな中で濱野谷選手はデビュー2走目で初勝利と、当時から怪物としての片鱗をのぞかせていますね…!
そして濱野谷選手の初優勝は、1993年9月23日にボートレース戸田にて開催された一般戦でした。
優勝した時の年齢はなんと19歳と10ヵ月、デビューから1年4ヶ月で嬉しい初優勝となりました。
その後成績は上がっていくのですが、優出はするも優勝ができないという時期が続きます。
2度目の優勝は、優勝戦25連敗で迎えた1996年5月6日に開催されたボートレース平和島の一般戦。
この2度目の優勝で吹っ切れたのか、1996年には3節連続優勝を含む優勝7回という素晴らしい記録を打ちだしています!
この当時でも若干22歳ですから、若手の有望レーサー誕生となりましたね。
漫画「モンキーターン」主役のモデル
濱野谷選手といえばやはり、モンキーターンの主人公である「波多野憲二」のモデルとなったことで有名ですよね!
モンキーターン作者の河合先生が競艇漫画を描くことを決めた際、初めて訪れた平和島競艇場で見たのが濱野谷選手のレースだったらしく、強く心に残る走りを見せられたことから主人公のモデルにしたそうです。
実際、濱野谷選手と波多野にはいくつかの共通点が存在します。
- 出身が東京都世田谷区
- 東京支部に所属
- 平和島競艇場でデビュー
- SG初出場、初優出、初優勝が全日本選手権
- SG初優出の結果(6着)が同じ
また濱野谷選手以外でも、訓練中の転覆回数が圧倒的に多かった今村豊選手・転覆して手を負傷した時とその後のリハビリのエピソードに関しては平田忠則選手など、実在する競艇選手のエピソードを波多野に当てはめている描写が見られます。
競艇を知らない方でも十分に楽しめる作品となっているので、読んだことのない方は是非ご覧になってください!
合わせて読みたい生涯獲得賞金ランキングの記事はコチラ↓
初心者でも競艇でお金を稼ぐ方法
競艇は初心者の人が自分で予想しても稼ぐことは難しいです…
ではどうすれば稼げると思いますか?
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
競艇予想のプロに頼るのが確実です。
競艇の知識はもちろん予想するために必要な情報は全て把握しています。
どうやってそのプロに頼るのかというと『競艇予想サイト』を活用すること。
競艇予想サイトは競艇の予想に命を懸けるほどの集団でかなり頼りになります。
私たちが稼いでいる競艇予想サイトはこちらに掲載していますのでみなさん活用してたくさん稼いでください。