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服部幸男選手ってどんな人?
服部幸男選手とは、SGの最年少優勝記録を持つベテランでトップレーサーの1人です。
選手紹介では「ベストを尽くします!」という決め台詞でお馴染みですね。
本栖研修所の卒業時には同期生の中でトップの成績を残しており、当時から光るものがありました。
長いことSGの優勝からは遠ざかっていますが、確かな実力とセンスを併せ持っている実力者です!
服部幸男のプロフィール
登録番号 | 3422 |
生年月日 | 1971/01/05 |
身長 | 167cm |
体重 | 56kg |
血液型 | B型 |
支部 | 静岡 |
出身地 | 静岡県 |
登録期 | 64期 |
級別 | A1級 |
服部幸男選手の経歴
1971年1月5日、静岡県浜松市常光町に生まれる。
父の服部正彦は競艇選手で、服部自身も幼い頃から父親と同じ職業に就きたいと口にしていた。
中学卒業後、静岡県立浜名高等学校に進学するが学校が嫌いという理由で中退し、1988年4月に本栖研修所に入所。
「落水王」と呼ばれながらも、卒業時は模擬レースの勝率7.49という同期生の中でトップの成績を残す。
過去暴走族に所属し、暴走行為が発覚して6ヶ月間の出場停止処分を受ける。
その反省後に暴走族と訣別し、出場停止解除後は成績が急上昇。
1992年の全日本選手権競走において、当時21歳(これは1984年に達成した今村豊の記録を抜き、現在のSG史上最年少優勝記録)で初優勝したのを皮切りに、1997年の賞金王決定戦競走で優勝。
植木通彦に年間最高賞金記録を抜かれるまでその記録を保持する腕前をもつ。
それから現在まで約24年間にわたりSGでの優勝がない。
1期上には服部と同じく親子での競艇選手となった今垣光太郎、同期生には松井繁がいる。
この3人は互いにライバル視しており、インタビュー等で公言することが多い。
2007年の平和島競艇場の総理大臣杯競走は、浜名湖競艇場・正月一般競走2日目でフライングをしたことによるフライング休みのため、出場できなくなった。
2007年9月11日、桐生競艇場の開設51周年記念赤城雷神杯競走・準優勝戦においてフライングをしたため、2007年11月7日~12月6日までフライング休みとなる。
12月7日から2008年3月6日までのG1競走選出除外が決まったため、東海地区選手権競走の2連覇がなくなった。
2009年5月5日、浜名湖競艇場のGWレースで通算1500勝を達成。
2016年2月22日、通算100人目となる2000勝を達成。
2017年、全24場制覇を達成。
ボートレーサーになったきっかけは?
服部選手がボートレーサーになったきっかけは、元ボートレーサだった父、服部正彦さんの影響だそうです。
子供の頃からボートレーサーとして勝負の世界で頑張っている父の姿を見ていたことから、服部選手自身も「ボートレーサーになりたい!」という思いが芽生えたのでしょう。
中学卒業後、一度は高校に進学しますが中退して本栖研修所に入所します。
入所後は「落水王」と呼ばれながらも、卒業時の模擬レースでは勝率7.49と同期生の中でもトップの成績をとっています。
そして本栖研修所を卒業後、1989年5月13日にデビューしました。
「落水王」と呼ばれていたにも関わらず、卒業時はトップの成績を残していることから、服部選手が相当努力していたことが分かりますね!
服部幸男選手の特徴と「まくり差し」
服部選手は新人時代に内側の艇を先に旋回させ、その懐を遅れて旋回する「差し」という戦法が主流という中で、自ら攻めて内側艇をまくり、さらに内側艇との空いたスペースに飛び込む「まくり差し(全速差し)」という戦法を生み出しました。
この圧倒的破壊力を持つ戦法を駆使することで、新人ながらも数多の勝利を重ねてきました。
それに加え「水の上では先輩も後輩もない」と発言し、実力の世界であることをアピールすると、年功序列であった当時の競艇界に一石を投じる結果となりました。
このような発言ができるのは、服部選手の実力があってこそだと思います…笑
現在の服部幸男選手の特徴としては、当時とは異なりインコースからの逃げを主流としていることが挙げられます。
そして人気は今でも高く、服部選手が1号艇で登場するレースは服部選手に人気が集まる傾向があります。
服部選手の進入は基本的にインコース狙いで動いており、近年の走りにおいて6コース進入はあまり見られません。
事実、コース別進入率を見てみると1コース進入が25.9%であるのに対し、6コース進入は2.2%と著しく低いです。
平均スタートタイミングは0.16で、SGクラスの競艇選手の中では平均的なスタートタイミングとなっています。
未だに破られないSGの最年少優勝記録
服部選手は今までに4度のSG制覇を果たしています。
- 第39回全日本選手権競走(1992年10月12日)
- 第30回総理大臣杯競走(1995年3月21日)
- 第22回笹川賞(1995年5月29日)
- 第12回賞金王決定戦競走(1997年12月23日)
この中でも一番皆さんの印象に残っているのは、やはり1992年10月12日に平和島競艇場で行われた「第39回全日本選手権競走」でしょう。
服部選手は、この当時21歳という若さでSG初優勝を果たしています!
21歳でのSG優勝は、1984年に達成した今村豊選手の記録を抜いて、現在のSG史上最年少優勝記録となっています。
30年ちかく記録が破られていないということだけでも、どれだけ凄いことを成し遂げたのか分かっていただけるでしょう…
その頃からセンスも才能もずば抜けていたようです!
ただ、1997年の「賞金王決定戦競争」での優勝以降は、約24年間の間SGでの優勝から遠ざかっています。
その一方で2016年には2000勝を達成、2017年には全24競艇場制覇を果たしているので、また服部選手がSGで輝く姿を見せてもらいたいですね!
服部幸男のライバルは?
服部選手のライバルとして挙げられる選手といえば、やはりこの人。
そう、松井繁選手です!
服部選手と松井選手は同期で、養成期間中はお互いトップクラスの成績を修めています。
松井選手は過去のインタビューで「服部は最初から活躍していて当時から意識していたし、今でも意識してる存在。お互い頑張って少しでも上にいけるように…って話してます。」と語っています。
成績上では服部選手の方が見劣りしてしまいますが、今でも互いに意識し合っている良きライバルという関係性なのでしょう。
地元の後輩選手には積極的にアドバイスするなど、人望も厚い服部選手。
昔よりは落ち着いたイメージですが、確かな実力を持ち合わせているのでこれからの活躍にも期待しましょう!
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